2010年07月21日

怨霊信仰(おんりょうしんこう)

怨霊信仰(おんりょうしんこう)


恨みを抱いて、たたりをする死霊、祖先霊、生霊が存在するという信仰。一部の新興宗教の中には、これらを利用し、霊感商法を行なったところもあるので注意が必要。

日本古来からの考えにマッチしているので、正しそうに聞こえるのでしょうね。
こうしたアニミズム的な信仰というのは世界中のあちこちで見られます。特に自然の豊かな地域で見られることが多く、人間がいかに自然と闘い、共生し、その大きさを実感してきたのかを垣間見ることができます。

しかし、文明論的にはそうしたアニミズムの中からは発達した文明はそれほど現れませんでした。祖先や自然を大きく神格化してしまうと、科学によって、その自然法則を利用することはタブーとなるのです。結果、すべてを司る神が存在し、その庇護を人間は受けているとする宗教が世界宗教となり、世界の文明を発達させるようになります。

霊的な世界については今も昔も百家争鳴ですが、それを見ることにはそれなりの意味があるのでしょう。
大事なのは霊の世界に傾倒したり、それに左右されることではなく、それに刺激を受けて良い肉体の生を送ることだと考えるべきです。少なくとも、たたりを起こすような霊に従い、ついていって、よい霊の世界に行けるとは到底思えません。

そして、そうした霊を追い払うことで人やお金を集める新興宗教には注意すべきです。
キリストは、信じない人にそうした奇跡を見せることで自らをキリストと認めさせました。しかし、それ以前にキリストはその御言葉で真理を伝えました。キリストを証するものはそうした奇跡ではなく、御言葉なのです。除霊によって天国に行くのではなく、御言葉を悟り、キリストを悟って天国に行くのです。
除霊のようなことは、聖書の中でも外でも数多く行なっている人がいます。
ゆめゆめ、間違ってはなりません。

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恩寵(おんちょう)

恩寵(おんちょう)


人間に対する神の愛顧、慈しみ、恵み。無償で与えられる神の恩恵

人間に対して神から注がれる恩寵は、いつも世界にあふれていると言います。
聖書の中で、太陽は貧しい者にも富んだ者にも等しく与えられるように、神の愛もそうだという表現がありますが、まさにそれが神の恩寵です。神の恩恵を受けていない人はいませんが、気付かない人は多いのです。

こうした恩寵をキリスト教だけでなく、スピリチュアルはとかく強調します。それによって、自分が愛されている存在であることを認識させ、自己肯定感をはぐくんでいるようです。それはいわゆるエホバと呼ばれる神なのか、認識はわかりませんが、恩寵を感じることによって人は自分に自信をもって生活できるようになります。ただ環境や物質が与えられるということではないのです。


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重荷がある(おもにがある)

重荷がある(おもにがある)


果たすべき務めがあること。神様から与えられた使命を感じること

神様から与えられた使命を重荷と呼ぶのは、負担感からなんでしょうか。謙遜からでしょうか。
私の背には負いきれませんということなのでしょうが、神様は超えられない試練は与えないともいいます。どのようにそれを捕らえるのか、その使命を通していっそう主と近くすることが求められているのでしょう。

重荷を負っているものは私のところに来なさい、楽にしてあげようとイエス=キリストは言いました。
ここで言われている重荷とはまた別なのでしょうが、いずれにせよ、聖書においては主が主にを背負う全ての人の解決策であるようです。

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御花料(おはなりょう)

御花料(おはなりょう)


キリスト教式の葬儀で、遺族に送る金銭。仏式の葬儀における「香典」にあたる

キリスト教式の葬儀だということがわかっている場合には、必ずこの御花料と書き添えられたものをもっていきましょう。香典などは、仏教の葬儀で用いられるものです。

キリスト教式の葬儀においては、線香をあげるのではなく、位牌の前にお花をおいていきます。そのためのお花代という意味合いで、喪主の経済的負担を助けるという意味合いです。意味合いは香典や御仏前と同じようなものですが、故人や家庭の宗教を尊重するという意味では混同は避けられた方がベターです。

ただ、形式そのものよりは気持ちの問題ですので、間違って香典と書かれたものを持っていってしまっても、よほどのことが無ければ気分を害することはないと思います。

冠婚葬祭は難しいので、よくマナーを知って参列すべきだと常々感じます。

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オカルト

オカルト


通常の知識では説明しがたい、神秘的・超自然的な現象や行為。秘術。

こういう説明だと神秘的ですね。幽霊とかなんとかそういう不気味な超常現象のイメージがありますけど。日本の見えないものは大体そういうイメージです。

日本においてオカルトブームが1970年代にあったそうで、あの有名な雑誌「ムー」がその言葉を流行させたと言われています。その後、終末思想が多く取り上げられた1999年〜2000年、そして2012年あたりがブームでしょうか。この頃になると、科学的見地からこうしたオカルト要素を検証しようとする科学者も多くなり、オカルトに興味があってもなくても盛り上がるという気運を見せることが多いです。

しかしながら、本来的にオカルトという言葉はキリスト教界隈ではカルトと同じく、正統キリスト教でないと思われるものに向けられた異端のレッテルであり、軽々しく使うべき言葉ではありません。見えないものを信じる宗教において、科学的でないからと異端扱いをするのもナンセンスな話なのです。

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オカルティズム(おかるてぃずむ)

オカルティズム


オカルトを信じ尊ぶこと

 宗教は時折オカルトと同一視されがちですが、オカルトというのは
[形容詞] 神秘的な・密教的な・魔術の・目に見えない。
[名詞] 秘学・神秘(的なこと)・超自然的なもの。

ラテン語: occulere の過去分詞 occulta(隠されたもの)を語源とする。目で見たり、触れて感じたりすることのできないことを意味する。そのような知識の探求とそれによって得られた知識体系は「オカルティズム」と呼ばれている。
(wikipedia 「オカルト」より)

ということです。
目に見えないもの、触れられないもの、ということですね。
オカルティズムとは、その目に見えず触れられないものの研究によっての知識体系であり、それを尊ぶことを言います。より狭義としては、正統としているキリスト教の体系から外れた思想や考えをもったものを神秘主義と言いながらオカルティズムと批判することもあります。一般的には科学で正統に証明・認められているもの以外を強く信奉することはオカルトと呼ばれます。

かつてはニュートンが重力を見つけ、発表したとき、時の権力者や科学者の中にはオカルト扱いをした者たちもいるそうです。

現在、スピリチュアルがブームになったりしますが、霊や魂を扱うとオカルト扱いされるのはそういった考えや偏見の名残なのでしょうね。

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黄金律(おうごんりつ)

黄金律(おうごんりつ)


「自分にしてほしいことは他の人にもしてあげなさい」とのキリストの言葉。キリスト教倫理の要約ともされる教え。ゴールデンルールとも言う。

もともと聖書の教えを指してる言葉なんですね。知らなかったです。
悲しいことに、黄金律でAmazonの書籍を検索するとマーフィーの黄金律ばかりが結果として出てきます。しかし元々はキリストの言葉を指しています。
マタイ:7/12: だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。

これが黄金律ですね。
頭ではわかっていることですが、これがなかなか実践できません。人は誰でも自分を中心にしようとするからです。
自分が自分の人生の主人公である以上、仕方がないことだとも思えますが、それを訓練して変化させていくのが信仰生活なのです。そして、自分にしてほしいことは他の人にもしてあげる、それを突き詰めていくと愛になります。「自分がわかってほしいからこそ相手をわかってあげる。自分をわかってくれて、してほしいことをしてほしい。だから相手をわかって、相手のしてほしいことをしてあげる。」ただ「自分がしてほしいことを相手にしてあげる」ということではありません。相手をわかって相手に合わせて相手がしてほしいと願っていることをしてあげることが愛の実践なのです。


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