2010年07月12日

エバ(えば)

エバ(えば)


「すべて生きているものの母」の意。アダムの妻で人類最初の母。英語訳はeve(イブ)

ですから、単一の女性の名前を指すものというよりは、女性の意なのかなと思います。太郎と花子みたいな感じでしょうか。聖書の中では、あばら骨と肉から生まれたとされ、男の助け手として創造されたと言われています。
その前には、動物を助け手にしようとしていましたが、どれもしっくり来なくて、最後に人間を助けるのは人間という結論に至ったという過程が創世記には描かれています。
エバはエデンの園で、善悪を知る木の実を食べ、それによって生みの苦しみ(妊娠の苦しみ)を受けたというように言われています。
創世記:3/20: さて、人はその妻の名をエバと名づけた。彼女がすべて生きた者の母だからである。

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エクレシア(えくれしあ)

エクレシア(えくれしあ)


ギリシャ語で教会を指す言葉

教会というのは建物ではなく、人の集まりだそうです。
最初に伝道が進んだ頃のギリシャでは、本当に細々と人々が集まっていたそうです。特別な建物も無く、人々は集まっては福音の御言葉を聞き、宣教師が訪れるのを首を長くして待っていたそうです。
ギリシャ哲学とキリスト教の教えの2つの教えをどう解釈し、どちらを選ぶべきか、ユダヤ教徒に与えられたその福音がどのように現地で受け入れられるべきか、課題が多い中で、ギリシャにおける福音伝播の動きは力強く進んでいったと言われています。そのための母体となり、原動力となったのがこのエクレシアでした。

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エキュメニカル運動(えきゅめにかるうんどう)

エキュメニカル運動(えきゅめにかるうんどう)


全キリスト教会の一致を目指す運動。エキュメニカリズム

キリスト教という大きな枠組みの中で、教派の違いは認めつつも、互いに結束してひとつになろうとする動きです。日本の中でも、この運動の成果として新共同訳聖書ができたと言われています。
エキュメニカル運動は一枚岩の運動ではなく、21世紀に入り様々な見解の差異の拡大が20世紀に引き続いてさらに顕在化し、場合によってはエキュメニカル運動が部分的には停滞したり、さらに失敗とまで評される局面も出てきているそうです。特に、超教派の一致の前に、各教派内の考えの違いを明確にし、分裂を引き起こしたと言われています。
超教派という試みが、果たしてどこまで認められるのか。エキュメニカル運動の終点はまだ見えません。
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栄光(えいこう)

栄光(えいこう)


すばらしい輝き・ほまれ。神の本質と属性の無限の輝きと至高のほまれ(=神の栄光)

栄光って、わかるようなわからないような感じですね。ひとことで言うと「神の素晴らしさ」なのでしょうけど。
国語辞典では、
(1)大きな名誉。輝かしいほまれ。
「勝利の―に輝く」
(2)めでたい光。瑞光(ずいこう)。
(提供元:「大辞林 第二版」)

なんだそうです。
神道や仏教では栄光という言葉を聞きません(多分ですが)。
栄える、というような言葉があまり使われないからなのかもしれませんね。
キリスト教のように、現世においても神が栄え、人間が栄えるというようなWin-Winでの形を考える宗教はもしかすると珍しいのかもしれません。

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栄化(えいか)

栄化(えいか)


再臨の時に信仰者の体がキリストの復活のからだに似た栄光の体に変えられること

これはちょっと難しい概念かもしれません。
キリストが再臨すると、私たちは変えられて、死んだ人々も生き返って、生きている人も死んだ人も天国に行くという表現がありますが、そのために必要なのがこの栄化という概念なのでしょう。
肉体はそのままでは死を迎える他ありませんから、キリストのように天国に行くにはキリストのように変化する必要があるということでしょう。

栄光の体、という表現も不思議な表現ですが、正直他に表しようがない、言葉にできないが神聖で素晴らしいというような意味合いだと思います。キリスト教や哲学の用語は明治時代から急速に入ってきたため、それまでの語彙では追いつかないし、作った言葉が正確な理解の元に作られているかもわからないし、きっと言語化するのが大変だったのだろうと推測されます。

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永遠の死(えいえんのし)

永遠の死(えいえんのし)


第一の死(肉体の死)の後に神の審判によって定められる永遠の滅び。第2の死。

聖書によると、人は必ず一度死にます。
上記の用語解説から、肉体が死ぬ、つまり一般的に考える死があるという考えと、そしてもうひとつ死があるということです。霊の死。地獄に行くことを指しています。
永遠の命を得るというのは天国に行くことを指し、永遠の死になるというのは地獄に行くことを指します。
同じ永遠でも、その環境はまるで違います。その永遠を左右するのが私たちの肉体の人生なのでしょうね。
よくよく生き方を考えるべきだと考えさせられます。
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永遠の命(えいえんのいのち)

永遠の命(えいえんのいのち)


死によっても断ち切られない永遠なる神との永遠の交わり。信じる者のうちに今すでに与えられており、時間を超越して永遠に至る、不滅の命。

永遠の命を欲しがる人は多いですよね。
でも、大事なのは永遠をどのように生きるかではないでしょうか。
永遠というだけで苦しい生き方なら、かえって地獄です。永遠に生きるなら、いい生き方をしたいし天国に行きたいものです。
伝道:3/11: 神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。


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